中庸
中庸を徳の至りとするのは儒教ですが、仏教ではもちろん、西洋でもバランスの取れた考え方は重視されており、中庸は人類の普遍的な徳目だと思います。最近の日本の社会では、残念ながら中庸が忘れられる傾向にあるのではないでしょうか。従来のやり方を惰性で続け、矛盾が限界に達して、方向を転換することが続いています。
典型的な例は、高速道路の無料化です。
僕が免許を取った昭和40年頃は、名神高速ができたばかりで、建設費が回収できれば、無料になると聞かされていました。それが田中角栄内閣のときに、個別ではなく全国の高速道路の建設費が回収されてからとなりました。
名神高速だけについていえば、通行料の累計は建設費の16倍に達しているそうです。
もちろん政府が主導し、国会で議決された手続き上瑕疵はないものだったでしょうが、殆ど利便性を実感できない遥か離れた場所の整備にために通行料を払い続けると言う、市民の寛大さに期待するシステムは、バブルが破裂した20年近く前に破綻していたと愚考します。
それをいきなり無料化しようというのですから、大混乱は避けられません。
矛盾がどうしようもなくなるまで高まって、非連続的な方向転換を余儀なくされるのは、物理的に考えても摩擦エネルギーは膨大で、賢明な社会とは言えません。
矛盾を早い目に予知し、バランスの取れた政策をとることが、ますます求められていると思います。
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徳目の意味が、徳を施す眼である事を切望します。
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穏やかさの中にある「厳しさ」が、季節感でもあると、小春日和を楽しんでます。
投稿: 桜鍾青年隊 | 2009年11月26日 (木) 13時06分