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2010年4月21日 (水)

市民感覚

最近いろんな意味で「市民感覚」が重視される傾向にあるように感じますが、その前提には専門的判断の裏づけが必須であると考えています。

たとえば、検察の不起訴処分について、検察審査会が二度妥当でないと決議すれば、検察に代わって選任された弁護士が強制的に起訴する仕組みに改められました。言うまでもなく、裁判は優れて公平でなければなりませんので、「市民感覚」に押し流されてしまうのは危険なことではないかと思っています。

一段と複雑化する社会の中で、さまざまな仕組みにも積年の垢がたまり、専門家の考える部分的な手直しでは、改善が進んでいるとは思われず、思い切った素人考えがかえって人々の共感を得やすくなっているようにも思われます。

過去のいきさつに囚われない素人考えには、もちろん優れた点もありますが、やはり危うい点もあることを認識しておくべきではないかと思います。

専門的な判断に裏打ちされた、過去の経緯に囚われない思い切った考えが、いま社会に必要なことだと思います。

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