グルメ・クッキング

2020年10月12日 (月)

錬金術

「Go toイートキャンペーン」を悪用して小遣いを荒稼ぎする手口が発覚しました。少額注文で済ませてポイントとの差額を稼ぐというやり方のようです。何ともせこいやり方ですが、起こるべくして起こった事件のように思われます。制度設計があまりにもずさんであったことは厳しく反省されるべきでしょう。

一番問題だと思われるのは、飲食店を予約する仲介業者の手数料が法外に高いと言われることです。1000円のディナーで手数料が200円と言われるのは、高すぎるでしょう。元々の設計が飲食業の支援より仲介業者を太らせる仕組みになっているのではないでしょうか。

2014年12月25日 (木)

有機栽培

世の中では有機栽培のお米、野菜などに人気があるようです。若い頃の寮生活のせいか、グルメにはあまり関心がなく、有機栽培と普通に栽培された食品の違いが見分けられるか自信はありません。

この間テレビを見ていたら、有機栽培では、肥料として与えられた有機物を土の中の微生物が分解し、リン、金属などにして作物に与えるのだと説明していました。直接作物に栄養として働くのは、リン、カリウムなどの無機肥料と同じ形で吸収されるということかと理解しました。無機肥料を悪者にするのは間違いで、無機肥料に頼りすぎて、土の中の微生物や有機物などが枯渇するのが問題なのでしょう。味の違いが分からない化学屋の言い訳です。

2013年12月 3日 (火)

安心と安全

食材の問題を考えても、安心と安全は微妙に違うように感じます。産地表示はその第1歩ですが、いわゆるトレーサビリティは安心に焦点を絞ったもので、肥料や農薬などをルールに従って使用することは、安全の問題だと思います。

生産地、あるいは極端な場合には生産者個人が特定できることによって、その食材の安全性の確保に役立てるのは有力な手段でしょうが、それが唯一の手段ということはないでしょう。ある意味では、監視されていることによって、ルール違反をしないという悲しい習性と言えなくもありません。もちろん農業に従事する人は十分な知識と高い職業意識を持っていると信じますが、農薬や肥料など、正しい栽培のルールから離れた安易な方法に走ることがないよう、研修を深めることもあるでしょう。JAなどの本来の役割ではないでしょうか。

2013年12月 2日 (月)

産地表示

世の中を騒がせた食材偽装の問題もさみだれ的に続いているようですが、一段落しつつあるようです。この問題の裏には、最近産地表示に人々が必要以上にこだわることがあるように思っています。もともとは、食材のよってきたる経路を明らかにすることで、食材の安全を確保し、消費者の安心を得ようとする仕組みだったと思います。その点では成果があったことは広く認められるところでしょうが、何事にもいい面もあれば副作用があるのが世の常で、「中国産偽装のうなぎ」が登場したあたりから、表示を偽って稼ごうという不心得者も目立つようになりました。

今回のレストランの偽装は、自分の舌を信じるより、ブランドを重んじる現代人の味覚の劣化があるように思えます。

2013年11月 1日 (金)

食材偽装

食品偽装疑惑が老舗ホテルを揺るがしているようです。悪意とまではいえなくても、看板に偽りがあっては老舗が泣こうというもので、許されざる行為ではあるでしょう。さはさりながら、これほど大騒ぎしてとっちめなければならない問題なのかと思わないでもありません。

一流ホテルのレストランで食事を楽しむなどという経験は数えるほどしかありませんが、もともと、日本料理は別として、フランス料理にしても中国料理にしても、生の材料の味で勝負するよりは、秘伝のソースなり味付けなりで勝負するものではないでしょうか。今回のスキャンダルがどのようにして暴露されたのか知りませんが、食べた人が味の違いに気がついて告発したとは聞きません。

2011年6月28日 (火)

水俣の教訓

化学屋として水俣病については深刻な反省を持っていますが、一市民としての水俣の教訓は、同じものを食べ続けてはいけないということだったと思っています。

その教訓を日頃は守っているつもりなのですが、夏場の自家栽培のキュウリだけは例外です。朝昼晩と丸かじりしています。

今年は例年より早く、6月20日から採れ出しました。まだ毎食欠かさずというほど採れませんが、少々曲がったりしていても、新鮮さは抜群です。

畑の栄養源は、ゴミをコンポストに入れてつくった自家製の堆肥と、家内がDIYから買ってくる鶏糞です。この間ドイツで流行した腸管出血性大腸炎のようなものが出てきたら、無防備ではあります。

2009年1月31日 (土)

堺の魚屋さん

今住んでいる堺の泉北ニュータウンの家にも、有難いことに新しい魚を届けてくれる魚屋さんがいます。多摩と違って、ここでは電話で御用聞きをしてくれます。毎週ほぼ決まって火曜日と土曜日の朝9時過ぎに、魚屋さんから電話がかかってきます。

「今日のお勧めの魚は何ですか」と聞くと、その日仕入れた魚を教えてくれます。魚ならあまり好き嫌いはありませんので、「じゃあそれでお願いします」というのが普通です。

この魚屋さんは、もとは近くの近隣センターにお店を出していましたが、今はそれをやめて、南海本線の堺駅の近くの店に戻っているようです。和歌山の方に仕入れ先をもっていると聞きました。

今では少なくなりましたが、関西では、「刺身」のことを、「お造り」といいました。スーパーの魚では「お造り」はあまり楽しめないので、もっぱら「お造り」はこの魚屋さんが持ってきてくれる、火曜日と土曜日の楽しみです。

2009年1月30日 (金)

多摩の魚屋さん

定年で会社を辞めてから7年ほど東京郊外の多摩市・聖蹟桜ヶ丘に住みました。1960年代に京王電鉄が開発した団地ですが、新宿にも近く便利な所にありましたが、やはり従来型の魚屋さんは見当たりませんでした。

その代わり、週に2回ほど、調布からだったと思いますが、軽トラックを改造した車に魚を積んで、魚屋さんが来てくれました。築地まで行って仕入れてくるそうで、新鮮な魚を運んできてくれました。

早い時には朝7時過ぎに、「毎度ありがとうございます」という元気な声が、携帯型スピーカーに乗って聞こえてきます。それを聞くと、声の方向に財布を持って出かけるわけです。釣銭の都合でしょうが、1500円、2000円と切りのいい数字で、夫婦2人には多すぎるときはありましたが、油の乗った美味しい魚を食べさせてくれました。

お客のあるときには、予め頼んでおくと、特別に持ってきてくれました。「目黒のサンマ」という落語がありますが、多摩でいい魚を楽しめたのは、幸せでした。

2009年1月27日 (火)

茨木の魚屋さん

新居浜から転勤して住むようになった大阪の社宅は阪急電車の茨木駅に近い便利な所にありました。そして歩いていける街のど真ん中に、繁盛している魚屋さんがありました。

その魚屋さんは、卸屋さんのようでしたが、素人にも売ってくれました。僕は土曜日しか知りませんが、いつ行っても、魚の周りには2重、3重の人垣があり、買って帰る人がいても、次々に新しいお客さんが来て、人垣はなくなりません。まごまごしていると、パワフルなおばさんに先を越されて、なかなか買えません。

人垣越しで、魚もよく確かめられないままに、周りの壁に貼ってある値札を頼りに、「カツオ」とか大きな声で頼むと、古新聞に包んで渡してくれました。鮮度などは確かめるすべもありませんでしたが、よくしたもので、すべて新しく、はずれはありませんでした。今は高級魚となったサバも1匹200円くらいで、シメサバにして、よく食べたことを覚えています。

また茨木では、冬になるとときどき、近くの川の土手に、どこからか車で松葉ガニを売りに来る人がいました。足が一本くらい欠けていたかも知りませんが、3匹千円くらいの値段で、本場と変わらぬおいしさでした。

2009年1月25日 (日)

新居浜の魚屋さん

新居浜で結婚して入ったアパートの近くの魚屋さんは、隣の西条から来て店を出している人で、料亭なども仕入れているという評判の魚屋さんでした。他より少し高めでしたが、魚は新鮮で、午前中には売り切れるという状態でした。

次女が小さい時の記憶として、海老が買って欲しかったのに、なかなか買ってくれなかったと言いますので、若いサラリーマンの給料では、そう簡単に買える魚屋さんではなかったのかもしれません。

1970年代に、瀬戸内海でも水銀汚染が問題となり、水銀法の食塩電気分解で塩素と水素を製造していた僕の工場にも、魚が売れなくなった漁師さんが押し掛ける騒ぎがありました。ぼくは問題になるレベルとは程遠いと信じていましたので、家内に毎日でも魚を買うようにいい、毎日美味しい魚を楽しみました。

そんなことがあって、魚屋さんとはかなり親しくなりました。しばらくして大阪に転勤になったとき、一番寂しがってくれたのは、この魚屋さんでした。

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